2009年10月15日木曜日

場所を生きる Reading Gary Snyder

外を歩きまわっている、注意深く食べ物を探しながら

根茎、鳥の呼び声、殻を割って食べる種
羽をむしり、土を掘り返し、わなを仕掛け、肴を釣る

生きていくのがやっと

2009年5月12日火曜日

怪我の功名

時々怪我をします。大きいのもあれば、小さいのも。消えずに跡が残るようなものも。怪我は勲章。どんな怪我をしてもタダでは起きません。返り血を浴びて大きくなります。

2009年5月6日水曜日

よい土を作る

日々メコノプシスで淡々と行っていることは、よい土を作る作業に似ていると思います。その方法は、不耕起農業の方法のようでもあります。できるだけ何もしないで、もっともバランス良く全てが豊かにつながりあって循環していくこと。弱ってしまった土に水をはり、放って置くことで微生物がわき、それを食べる生物が住み、それを食べる動物が訪れ、結果作物の害虫も食べられ、その土を経由していった全ての生物の痕跡が土の肥料となるように。メコノプシスでは具体的な農作物を作っていませんが、都市農業の一つの試みであるといえるかもしれません。人はパンのみで生きるにあらず。パンではないけど人にとって生きていく上で必要な何かをうむ畑。化学肥料づけのどうしようもなく弱々しいものではなく、容赦ない力に満ち溢れた何かがメコノプシスから次々と収穫されていく日を心待ちにして、今日も畑にでかけます。

それ以上にも、それ以下にも

ものごとの本質を捉えて、それ以上にもそれ以下にも表現しないという信念のようなものを、心に響く表現に出会うたびに感じます。本当に大事なことは、重かったり大きすぎたりする言葉を使わずとも、しごく平易な言葉だけで、十分にきっちりと伝わります。どんなに難解といわれる哲学書や、科学の本、ある種の専門書でも、結局この話は何の話?と聞いて、一分で説明できるようでなければ、書いている本人が何を書いているかよく分かっていない場合が多いと思います。本質をきっちり捉えたならば、それ以上にもそれ以下にも書く必要がないし、書けないものだと思うのです。メコノから何かを発信するとき、このことは常に心に留めておきたいと思っています。

2009年3月5日木曜日

目に見えない建築のためにせっせと石を運ぶ

と言ったのは、『星の王子様』の作者のサンテグジュペリだそうです。彼は言葉をかえて、「ある祝祭の準備」とも言ったそうです。メコノプシスがいろいろなことを行う上で大事にしているのは、この「目に見えない建築のためにせっせと石を運ぶ」ことであり、それはまさに「ある祝祭の準備」のためでありたいと思っています。

2009年1月15日木曜日

大事なのは

シゴトをしているように見えることではなく、シゴトをすることだと思うのです。メコノプシスにとってシゴトとは何か。近代の一般的なシゴトは、量で測られてきました。一時間で何枚皿を洗えるか、どれだけの機械を組み立てられるか、どれだけの情報を処理できるかナドナド。メコノプシスで大事にしているのは、量ではなく質。それゆえに、時々ソトからはもどかしく感じられたりするようです。しかしそのような心配や不安に対しては、それを上回る質をもって応えることがメコノプシスが目指しているところのように思います。いづれは質と量。両方伴えば文句無しなのですが、まずは質から。それがメコノのオシゴト?


sir.g