2008年9月16日火曜日

リニアとノンリニア

リニアは線形、ノンリニアは非線形。通常、人はAがBになってCに至りDになるというように、順序だてて矛盾が無いように、思考するように訓練付けられています。でもこれは、(近代という)時代や地域、家庭、学校でこのような手順で考えるように訓練されたからで、本来は、AがFになってZもあるんだけどBになってHにかわってKになるというように考えたりします。神話や、昔話、中世までの詩や散文、子供の話が、こんな展開になっているのは、リニアに思考する訓練を受ける前の、自由で野生のままの思考(志向)連想手順によっているからです。余談ですが、モーツァルトの手紙などは、容赦ないノンリニア展開全開で、痛快極まりない無謀な野性味を余すことなく感じることができます。彼の時代はすでに、リニアに振舞うことが要求されていた時代でしたから、そうすることができなかった不適合さを察するとあまりにも気の毒に思います。同じような傾向は、サドの手紙からも感じることができます。両人とも、要するに去勢されることがなかった人ということでしょうか。
現代の社会では、当然のことながらノンリニアにしゃべると、何をしゃべっているか分からないと眉をひそめられ、親からはちゃんと話しなさいと注意され、学校の作文では、何度も何度もきっちりとしたリニアな文章になるまで添削され続けることになり、すっかりノンリニアな野生で力強い思考プロセスは去勢されてしまいます。
リニアは時に便利な方法ですが、味気や色気のないものでもあります。このプロジェクトでは、意思決定や、運営をすすめる上で、可能な限りノンリニアなプロセスを大事にしたいと思っています。無味乾燥で、事務的なリニアよりも、血湧き肉踊る、一見無軌道に見えて、大きな理にかなっているノンリニアの復権に挑戦です!

sir.g

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